Vol. 36 ~歴史よ、ふたたび -結束の時~

コラム

【参考サイト】https://www.afpbb.com/articles/-/3220932?pno=2&pid=21174352

 

 パリの中心は〈エッフェル塔〉でもなければ〈凱旋門〉でもありません。1区から始まるパリの行政区はシテ島を渦の真ん中とし、右回りに番号がふられています。そのシテ島の中心にそびえ立つのが「ノートルダム大聖堂」なのです。

 

 ローマ=カトリック絶頂期の12世紀に着工され、1225年に完成しました。その翌年、フランス国王の中では最も熱狂的なカトリック教徒として知られるルイ9世(聖ルイ)が即位し、まもなく、当時最高の神学大学とされたパリ大学を創設します。もちろん、この大聖堂の近くに作られたことは言うまでもありません。

 

 その名「ノートルダム」は「聖母マリア」を意味することからも分かるように、マリア信仰が広がりを見せていた時期にも当たります。マリアがいなければイエスは生まれない。当時のキリスト教徒にとってはイエス本人以上に熱く信仰された時期や地域もありました。その証拠に、ランス大聖堂やアントワープ大聖堂をはじめとしたいくつかの有名な教会には、「ノートルダム大聖堂」の名前がつけられています。

 

 キリスト教を「理性」に反するものとして迫害対象としたフランス革命期に、彫刻をはじめとする装飾の大半は略奪・破壊にあいました。さらに、数年後には落雷で尖塔一部が壊れたことで撤去され、ノートルダム大聖堂は一時廃墟状態になりました。しかし、ナポレオン時代を経験したフランス人は国民意識を高揚させ、フランスシンポルとしてこの教会の復興を誓います。

 

 19世紀前半、その旗振り役の一人となったのが、ディズニーや劇団四季でも有名な『ノートルダムの鐘』の原作である『ノートルダム・ド・パリ』(1831年出版)の作者ヴィクトル=ユーゴーでした。〈母〉の復活こそがフランスの団結と復活であると当時のフランス国民は信じ、多くの寄付が集まったことや国家事業となったこと、パリ万博(1855年)への準備もあいまって、修復&復活を果たしたのです。

 

 すべてにおいて美しさを放つこの大聖堂のシルエットは、2つの大戦を乗り越え、今日まで観光地としての意義のみならず、フランス人の精神的な支柱ともなってきました。

 

 完全な復元は簡単ではありません。特にゴシック式の特徴の1つである木製のハリの焼失は…。お金や技術の問題ではなく、気候や木材が変化したこの年月を乗り越えるのか…。

 

 しかし、世界史上、多くの苦難を乗り越えてきたフランス国民ならば、〈結束〉によって必ず復興させることができるはず。

 

 不満をあらわにし、ぶつかり合い、揺れ動くフランス国民に、神が〈結束〉という使命をこの大聖堂の焼失により与えたのではないかと私は確信しています。

 

 

PAGE TOP ↑